「絵本の小部屋 こごみ」は2023年6月3日(土)にオープンしました。オープン後何人もの方から「夢がかなってよかったですね」と言っていただいたのですが、その度に「絵本屋になるつもりではなかったけれど、いろいろ考えて絵本屋に。まあ話せば長くなるので…」と答えていました。
そこで、話せば長くなる「絵本屋への道」を少しずつ書いていこうと思います。
物語と出会う
最初に私が「おはなし(いわゆる物語)が好きだ」と実感したのはたぶん幼稚園で、毎日帰る前に先生が読んでくれた紙芝居が何より楽しみでした。とはいえ、自宅にある絵本は、幼稚園から毎月持ち帰る幼児用の月刊誌のみ。当時出版されていたはずの福音館や岩波の絵本には出会っていません。
その代わり、おそらくNHK教育で木曜日に放映されていた「おはなし」(?)という番組が大好きで毎週観ていました。ただ、朗読が中心のこの番組の途中に、必ず挿絵が映し出されることに対して、私は「何で自分の頭の中に絵があるのに、違う絵が出てくるの?」と一人で憤慨していました。
この時の私は「物語を聞くと、頭の中に絵が出てくる」ことを発見して、それが何より楽しかったのです。反対に「違う絵」(挿絵)が映るとちっとも嬉しくない。「絵が頭の中に浮かんでくるのは魔法が使えてるのかも」とまじめに思っていたふしもあります。
小学校1年生の教科書に掲載されていた物語は『ふしぎなたいこ』(石井桃子)でした。私はこの物語が好き過ぎて、宿題でもないのに毎日毎日音読していました。作者が石井桃子さんだったと知るのは大学生になってから。石井桃子さんの書いた『子どもの図書館』*という本は、私がのちに絵本の道へ入るきっかけとなった本です。小学校1年生の時から、『子どもの図書館』に出会うように道が繋がっていたのかもしれません。
*リンクと写真の本は新版です
物語にのめりこむ
私の出身は兵庫県出石郡出石町(現 豊岡市)という田舎です。当時の出石町の人口は約1万1千人程度。通っていた小学校は単学級で全校児童が160名程度の小規模校でした。
図書室はあったのですが、教室の広さになんとなく本が置いてあるような状態。それでも読める本はかたっぱしから読みました。その中で、本当に物語にのめり込むきっかけとなった本が2冊あります。
1冊は『デブの国ノッポの国』(アンドレ・モロア)。兄弟が地下の国に迷いこむのですが、体型によって片方はデブ人のいる国へ、もう片方はノッポ人のいる国へと分けられてしまいます。そして兄弟は二国間の戦争に巻き込まれてしまい…という話。
この話を思い出したのは、教職課程の大学生として児童書や絵本を読むようになった頃、自分の原点の児童書ってなんだろうと考えた時です。(ただしこの時覚えていたのはお話のみで、作者やタイトルはかなり後にあってから「本の探偵」である児童文学評論家の赤木かん子さんに聞いて分かりました。)
もう1冊は『シェイクスピア物語』(ラム 松本恵子訳1966 偕成社)。これは私が今でも大事に持っている自分の一番古い本です。(小学校中学年頃に読んだと思いますが、なんと上下2段組。よく読みました。)
中でも「ベニスの商人」は面白くて何度も何度も読みました。大人になって「ベニスの商人」は喜劇だと知りましたが、当時はそんな事は全く分かりませんでした。
登場人物が大人ばかりの本を読んだのはこれが初めてで、特徴あり過ぎるに登場人物に対して「大人になるとこんな人達もいるんだ!」と思っていました。また、今読み返して気づいたのは「立腹」「署名」「祝宴」「残酷」「慈悲」等の漢字にルビがふってあること。漢字はたぶん本を読むことで学習していったのだと思います。
図書室の本を全部読んでしまった
高学年となったある日、伝記『チャーチル』を手に取りながら「これが読んでいない図書室最後の本。これを読んだら明日から何を読もう?」と悩んでいました。ついに図書室にあるすべての本を読み終える日が来たのです。
そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのが、当時隣の6年生の担任の先生でした。「そんなに本が好きなら、先生の家に全集があるから、毎週借りに来ていい」と言ってくれました。
借りたのは当時いくつかの出版社が出していた「少年少女世界名作選」だったと思います。毎週土曜の午後自転車で先生の家に行き、2冊借りて1週間で読み、次の週にまた借りに行くということを繰り返して全部読みました。
『宝島』『アンクルトムの小屋』『ドリトル先生航海記』等々どの本も本当に面白くて、私に声を掛けてくれた先生に感謝すると同時に、「こんなにたくさんの本を買ってもらえる子どももいるんだ」とびっくりしたのを覚えています。
読書の楽しさを共有したいけれどできない
こんな小学校生活を経て、高学年の時に「本って本当に面白い」と確信したのですが、一方で「つまらない」と思っていたことがあります。それは、本の面白さを共有できる友達がいなかったことです。
学校にある本ならまだしも、学校にはない本について友達に「この本読んだ?」とは聞けません。当時私の学校でのもう一つのいちばんの楽しみは10分休みのドッジボールだったのですが、「ドッジボールの楽しさは共有できるのに、なぜ読書の楽しさは共有できないのか?」と真剣に考えていました。
この問いー「なぜ読書の楽しさは共有できないのか?できる方法があれば、読書はもっと楽しいものになる」ーは心の中から消えることなく、小学校教員になって子どもに読み聞かせをしたり、学校図書館の仕事をしたりしながら考え続けていました。結局やっと「読書の楽しさを共有できる」実践ができるようになるまでには40年かかる事になります。
今回はここまで。次回は中学生時代。
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