2024-07-02

絵本屋への道(3)高校生時代

「図書館に関する仕事をしたい」

地元の高校に入学し、中学校と一番違うと気づいたのは「図書館に人(司書)がいた」ことです。この「図書館に人がいる」おかげで、毎日図書館通いをすることとなりました。当然毎日行ったところで新刊本が増えているわけではないのですが、司書の方と本に関するたわいもない話をするのが楽しく、初めて「将来は図書館に関する仕事をしたい」と思うようになったのはこの頃です。

また、高校の図書館には中学の図書館になかった本も多く、特に團伊玖磨(だんいくま)さんの『パイプのけむり』(週刊誌『アサヒグラフ』で1964年から連載されたエッセイ。順次単行本化され全部で27巻)の新刊が出るのが楽しみでした。

ツケで本が買えた

もう一つ高校になって中学と変わったことは、学校帰りに書店に立ち寄れたことです。

そしてなんと当時その書店では父の勤務先と名前を言って「ツケ」で本を買っていました。家計は決して裕福ではなかったのですが、この本代に父は全く口出ししませんでした。ある月、調子よく買い過ぎて「いつもよりかなり本代かかったなあ」と思った月があるのですが、月末にその請求額を知った父は怒る事もなく「もうちょっと少ないとありがたい」と一言。子ども心に「すごい父だ」と思ったのを覚えています。

この「自由に好きな本が買えた」環境は本当に恵まれていると当時から感じていて、いつか子どもができたら同じことをしようと心に誓っていました。後年私の子ども3人には、高校時代も大学時代も「本代は、小遣い(仕送り)とは別だから」と言い続けたはずですが、ほとんどその権利は使われたことなく、挙句には「そんな事言われたっけ?」と。親心は子どもには全く伝わっていかなったようです。

この話をすると、すばらしく教育熱心な家庭に育ったように受け取られることもあるのですが、そんなことはなく、そもそも実家の両親は本を読む人ではありませんでした。できるだけ私の好きなことを応援してあげたいという気持ちのあらわれだったのだと思います。感謝しても感謝しきれません。

家の中で読書していた姿を見せてくれたのは唯一、祖父でした。祖父の蔵書から子母沢寛(しもざわかん)『勝海舟』全3巻を借りて高校の夏休みに1か月かけて読んだのはいい思い出です。先日、帰省した折にその本を広げてみたのですが、当時の版は活字がとても小さく、こんな文字をがんばって読んでいたのかと自分で驚きました。

進路希望とその後

そうこうしているうちに高3になりました。「将来は図書館に関する仕事をしたい」と考えていた私が行きたい大学となると、全国で唯一、図書館職員を養成する専門教育が行われていた東京の「国立図書館短期大学」の一択でした。(この大学は1981年に廃止)

しかしこの希望は父の「大学は行ってもいいけど、東京だけはダメだ」という一言で、あえなく叶わなくなってしまいました。地元関西にも多くの大学があるので、わざわざ東京まで行く事もないという考えだったのでしょう。

「行きたい大学なくなった…」とぼーとしていたら、ある日担任から「指定校推薦枠のある大学があるから受験してみないか」と言われました。「試験は作文2枚」という誘い文句につられて受験し、合格。結局、山梨の大学生となったのでした。

(高校3年間もTV巨人戦観戦はしっかり続けていました。実は大学に行かなかったら、甲子園球場のウグイス嬢になりたいと真剣に思っていました…)

次回はいよいよ大学時代。

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